Friday, December 22, 2017

Remains of the Day

さいきんになって、ロンドンにもパリにも行ってみたけど、もうロンドンもパリも刺激はくれないのだった。
行ったことのある場所も行ったことのない場所もひとしく、もうどこにも憧れの地はなく、それって自分がもう若くなれないのと同義だと思った。
楽しく笑って帰る夕暮れにも、ああもう生きているのもほとほと飽きたなと思う。ああ、まだ生きているのか、ああまだ生きて行くのか、果てしないなと思う。
夕暮れが、人生で一番いい時間だと語る老人が、カズオ・イシグロの『日の名残り』には出てくる。そうなのだろうか。そうなのかもしれない。と暮れてゆく人生の中で考える。
空はだんだんと光を失い、空気は急速に冷えて行く。わたしは、想像の襟を立てながら思う。そうだろうか。そうかもしれない。でもこの夕暮れは長すぎると。


Spirits Drifting/Eno

Tuesday, September 15, 2015

endless

死ぬというのは
買い置きした食料品が本人よりも「長生き」すること

そう思い知ったから
もう生きているかどうかわからない日々のための準備は
やめようと思ったのにいつの間にか人間は
「明日のため」の買い物をしてしまうものだね

彼は
汚れたり傷ついたり弱ったり発熱したり
痒かったりお腹がすいたりのどが渇いたり落ち込んだり
重かったり老いたり朽ちたりする面倒な
「身体」
から自由になって
「まるでなにもないような」
きわめて軽量のオンデマンド式ヴァーチャル・ボット
になって
好きな時に望んだ人の脳裏に出没できる
進化した形態の存在となった

のかもしれない

ほら

あなたの隣には
なにもないようでいて
天使の羽毛ひとつ分の重さの
あるいは悪魔の爪ひとかけ分の重さの
オンデマンド・クリップ・ボットが浮かんでいる

1クリップの長さは
vineとおなじく6秒です

もちろんエンドレス再生も可能
スイッチは瞬きひとつ

            in my bed/Amy Winehouse


Wednesday, July 29, 2015

dream your life away

例えば明け方まだ夢の中にいるとき、なにかしなければいけないことがあって、起きた時も瞬間まだそのなにかを遂行しようとしている。そして、やや遅れて、それは「夢」という「別の世界」のことだった、と気づく。「現実」界ではなく「夢」界のことだから、放念してもいいのだ、と思う。


死ぬということも、そういうことかも、しれない。


夢の中とはいえ、懸命だった。計画し、実行し、気を配り、積み上げてきた。感じた。出会った。あの通じた気持ち。持ち物。決して忘れないと胸に刻んだ記憶。


それが、目覚めることによってすべて唐突に意味を失い、「なかったこと」に後退して一瞬に流れ去る。


「死んだ」瞬間、とおなじように。


それまでの進行のすべてが、行き場をなくし、手放してもいいものに変わってしまう。



虚しいことでもあるけれど、心配も、失敗も、背中まで迫っていた追手も、同様にすべてちゃらになる。足元がなくなるような、やぶれかぶれの安堵感。



そしてまた、夜がくると、わたしたちは懲りもせず別の人生に船出して、朝、あっさりとその世界を捨てる。




生から死に切り換わるのに一番似ているのは夢から目覚めること。


毎朝、わたしたちは死んでいるようなものだ。


             Sha Zi Cai Bei Shang/Pu Shu

Tuesday, July 7, 2015

fête des étoiles

夢の中のあの人は寂しそうにしている
わたしはその寂しさのわけを知らない
寂しいはずではない場面の気がする
寂しい理由がわからない
だからちょっとこわくて
わたしはいつもはしゃいでいる
あの人はそれを止めないし
言い争うことはしないで
わたしの陽気につきあってくれるけれど
寂しい理由は言わず
寂しそうなままだ

なんだー
本当に死んじゃったかと思ったよー
あのさー 死亡届とかさ
取り消したりできるのかしら
取り消してもらわなきゃ ねえ?
近所の人たちびっくりするよね
まあいいよねそんなこと

また一緒に暮らせるのに
こうして横にいるのに
これから手続きとかいっぱいして
また仕事とかしなきゃいけないのに
なぜそんなに
不釣り合いな寂しい顔をしているのだろう
しばらく死んでたから,まだ力が出ないのかな 

やることがたくさんある
さあ頑張らなくては
と思うのに

あの人は寂しそうなまま

わたしは陽気なまま

いつしか夢は終わって

一つ命の数の合わない世界に

わたしはまた目を覚ます

                         make this go on forever/snow patrol

Monday, July 6, 2015

what i have lost

先に立って不機嫌に歩いていく背中を
思い出し笑いを
挙げられた右手を
ただいまの声を
靴下を脱ぐさまを
髪から滴る水を
忙しなくゴシゴシとタオルで髪を拭くしぐさを
ほかほかと茹で上がった肌を
そこにぽつんとある濃いピンクのにきびを
肩にかけられたタオルを
石鹸の匂いを
猫背のままテレビを見つめる背中の曲線を

思い出す白く明るい昼下がり

神様に嫉妬されて
取り上げられる価値もなさそうな
そんな小さな平凡な
些細な場面ばかり思い出す

返して欲しいのは金の斧ではありません
銀の斧でもありません
お持ちになっていてもつまらないものですので
返していただけないでしょうか


                             Craigie Hill/Cara Dillon


Saturday, May 16, 2015

hide and seek

幼児がかくれんぼをすると
自分の目を手で覆ったり
どこかに頭だけ突っ込んだりすることで
「隠れたつもり」になることがある。

人はその姿を見て幼さを笑うけれど
「自分に見えているものが相手にも見えている世界」であり
「自分が自分に見えなくなれば相手からも消えてしまえる」
というのは
なかなかスウィートな誤解だ。

わたしもいなくなれるかしらん。
ある日ふと
強い近視の矯正をやめてみた。

コンタクトレンズを通さない世界は
物という物の境界線はぼやけ
字という字はただの紙魚になり
光という光は
軽い乱視が作り出す派手なビームの触手を縦横に伸ばし
夜景は絢爛豪華になった。

そして

なんというかぜんたい的に
たいへん優しくなった。

とりわけ鏡で見る自分は
とても見やすくなった。

肌は少し滑らかになり、
二の腕は少しほっそりした。

自分をつぶさに見なければならない拷問から、
こんな簡単なことで解放されるとは思わなかった。

そうだ。
目を閉じればよい。
見なければ、生きていけるのだ。

幼い子のかくれんぼのようにわたしは
目を閉じることで出現した
自分のいない快適で安全な優しい世界
に生きている。

もうわたしはどこにもいない
見つからないよ

もうだれも
見つけにこなくていいよ。

            Born to die/ Lana Del Rey



Friday, April 17, 2015

midafternoon low fever

3年間ずっと

「殺せ、殺せ、殺せ、殺せ」

と聞こえていたインクジェットプリンタの印刷音が、

とつぜん

ただのつまらない機械音に戻るくらいには

「回復」

したかなと思う春の昼下がり。


               Charlie Brown/Coldplay